2007 |
06,06 |
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夢で逢えたら(ゆめであえたら)は、1989年4月-1991年11月にフジテレビ系で放送されていたバラエティ番組。放送時間は土曜23:30-24:00。また、フジテレビのみ(関東ローカル)で、全国ネット番組に昇格される半年前の1988年10月-1989年3月まで、木曜26:05-26:35で放送されていた。
ダウンタウンとウッチャンナンチャンが共演していた。
1988年10月-1989年3月の期間では深夜2時過ぎの放送だったためか初回以後数回の視聴率は1%を切る事もあったが、徐々に人気が高まり、やがて5%を超えるようになった。土曜日に移ってからは手前の番組で絶頂期を迎えたねるとん紅鯨団の視聴者を巻き込んで人気を確立し、深夜番組としては異例の20%という高視聴率を記録した。
番組概要
後にお笑い界のトップに君臨する事になるダウンタウン・ウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコが出演していた、ファンの間では伝説的な番組。現在でも見られる若手芸人による合同コント番組形式はこの番組が始まりだとも言われている。
番組構成は主にコント中心で、1、2分単位のショートコントと連続ドラマ仕立ての長めのコントから成る。「ガララニョロロ」「伊集院みどり」「サービス」「タキシーズ」「ポチ&卍丸」など多数の人気キャラクターが生まれた。初期と後期ではコントの方向性が異なっていて、初期は道具も少なく地味な物が多い。なお、後期のスタイルは後にダウンタウンの冠番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」に引き継がれる。
1990年4月、ウッチャンナンチャンはゴールデンで「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば」が決まり、スケジュールを合わせるのが難しくなった。また野沢は1991年3月23日放送分をもって番組を降板。以降最終回まで5人でのメンバー構成となるも野沢の抜けた穴は大きく、マンネリ化した状態の中これ以上の番組継続が困難となり、1991年11月23日、11月30日のドラマ企画「Forever friends」をもって終了した。(ちなみに最終回のドラマ企画はステレオ音声での放送であった。)
1993年3月には、ニューヨークへ旅立った野沢直子を探す企画として2時間のスペシャルを放送。浜田・内村・南原・清水の4人がニューヨークへ旅立ち、当時「チンパンジーズ」というバンドを組んでいた野沢と感動の対面を果たす(サルの気ぐるみ姿でパンクロックをシャウトする彼女に一同唖然)。そこで野沢は結婚・妊娠の発表をし、4人を呆れさせた(なおこの時南原も結婚を発表。執拗な浜田の質問に「芸能レポーターよりうっとおしい!」と苦笑いした)。一方、松本だけは東京に残り、芸人として野沢との対面よりも番組収録を選択、1人コントを撮った。これ以降、この番組の放送はないが(2000年12月31日に放送されたフジテレビのバラエティ番組を振り返る特別番組の中で過去の名場面の再放送はされている)、清水は未だに「みどりー!」とファンから叫ばれると即興で伊集院みどりを演じてくれたり、メンバー同士が競演すると、息の合ったツーカーなやりとりが見られるなど全員のチームワークは未だ健在である。
スタッフと番組形態はこののち「ダウンタウンのごっつええ感じ」に引き継がれていく。
エピソード
「バッハスタジオII」のコーナーでは当時起こっていたバンドブームの波に乗り、清水以外音楽経験のないレギュラー陣がバンドを結成し数々の課題曲に挑戦。講師としてユニコーンやTHE BOOMら売り出し中の若手人気バンドが数多く登場した。ちなみに、現在バラエティータレントとして活躍するYOUも当時組んでいた「FAIRCHILD」のボーカルとして出演したことがあり、彼女ののちの方向性を決めるきっかけになった番組と言える。
当時のメンバー間のチームワークの良さは素晴らしく、後に笑福亭鶴瓶が「こんなに息の合った番組はそうそう無い」と番組を絶賛している。また、当時は彼らもまだスケジュールに余裕があり、出演者6人がプライベートで花見に行ったというエピソードもある。このとき、野沢、清水、南原が騒ぎ、浜田、松本、内村がその騒ぎを見守るという立ち位置がしっかりできていたという。
(出典:ウィキペディア)
夢で逢えたら(ゆめであえたら)は、1989年4月-1991年11月にフジテレビ系で放送されていたバラエティ番組。放送時間は土曜23:30-24:00。また、フジテレビのみ(関東ローカル)で、全国ネット番組に昇格される半年前の1988年10月-1989年3月まで、木曜26:05-26:35で放送されていた。
ダウンタウンとウッチャンナンチャンが共演していた。
1988年10月-1989年3月の期間では深夜2時過ぎの放送だったためか初回以後数回の視聴率は1%を切る事もあったが、徐々に人気が高まり、やがて5%を超えるようになった。土曜日に移ってからは手前の番組で絶頂期を迎えたねるとん紅鯨団の視聴者を巻き込んで人気を確立し、深夜番組としては異例の20%という高視聴率を記録した。
番組概要
後にお笑い界のトップに君臨する事になるダウンタウン・ウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコが出演していた、ファンの間では伝説的な番組。現在でも見られる若手芸人による合同コント番組形式はこの番組が始まりだとも言われている。
番組構成は主にコント中心で、1、2分単位のショートコントと連続ドラマ仕立ての長めのコントから成る。「ガララニョロロ」「伊集院みどり」「サービス」「タキシーズ」「ポチ&卍丸」など多数の人気キャラクターが生まれた。初期と後期ではコントの方向性が異なっていて、初期は道具も少なく地味な物が多い。なお、後期のスタイルは後にダウンタウンの冠番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」に引き継がれる。
1990年4月、ウッチャンナンチャンはゴールデンで「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば」が決まり、スケジュールを合わせるのが難しくなった。また野沢は1991年3月23日放送分をもって番組を降板。以降最終回まで5人でのメンバー構成となるも野沢の抜けた穴は大きく、マンネリ化した状態の中これ以上の番組継続が困難となり、1991年11月23日、11月30日のドラマ企画「Forever friends」をもって終了した。(ちなみに最終回のドラマ企画はステレオ音声での放送であった。)
1993年3月には、ニューヨークへ旅立った野沢直子を探す企画として2時間のスペシャルを放送。浜田・内村・南原・清水の4人がニューヨークへ旅立ち、当時「チンパンジーズ」というバンドを組んでいた野沢と感動の対面を果たす(サルの気ぐるみ姿でパンクロックをシャウトする彼女に一同唖然)。そこで野沢は結婚・妊娠の発表をし、4人を呆れさせた(なおこの時南原も結婚を発表。執拗な浜田の質問に「芸能レポーターよりうっとおしい!」と苦笑いした)。一方、松本だけは東京に残り、芸人として野沢との対面よりも番組収録を選択、1人コントを撮った。これ以降、この番組の放送はないが(2000年12月31日に放送されたフジテレビのバラエティ番組を振り返る特別番組の中で過去の名場面の再放送はされている)、清水は未だに「みどりー!」とファンから叫ばれると即興で伊集院みどりを演じてくれたり、メンバー同士が競演すると、息の合ったツーカーなやりとりが見られるなど全員のチームワークは未だ健在である。
スタッフと番組形態はこののち「ダウンタウンのごっつええ感じ」に引き継がれていく。
エピソード
「バッハスタジオII」のコーナーでは当時起こっていたバンドブームの波に乗り、清水以外音楽経験のないレギュラー陣がバンドを結成し数々の課題曲に挑戦。講師としてユニコーンやTHE BOOMら売り出し中の若手人気バンドが数多く登場した。ちなみに、現在バラエティータレントとして活躍するYOUも当時組んでいた「FAIRCHILD」のボーカルとして出演したことがあり、彼女ののちの方向性を決めるきっかけになった番組と言える。
当時のメンバー間のチームワークの良さは素晴らしく、後に笑福亭鶴瓶が「こんなに息の合った番組はそうそう無い」と番組を絶賛している。また、当時は彼らもまだスケジュールに余裕があり、出演者6人がプライベートで花見に行ったというエピソードもある。このとき、野沢、清水、南原が騒ぎ、浜田、松本、内村がその騒ぎを見守るという立ち位置がしっかりできていたという。
(出典:ウィキペディア)
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