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教えて!ダウンタウン

ごっつええ感じ、ガキの使いやあらへんでで活躍している、 大人から子供まで大人気のダウンタウン。 昔の漫才は、youtubeの動画でみてもやっぱりおもしろい! 最高ダウンタウン!
2024
11,21

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2007
08,31
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出演者
司会
・浜田雅功(ダウンタウン)
・中田有紀(フリーアナウンサー)

パネラー
毎週、各世代1名ずつ(計8名)
・Kids(男女~12歳):細山貴嶺、大塚雄介など
・Teen(男女13~19歳):新垣結衣、山崎真実、中川翔子、岩佐真悠子、福井未菜など
・M1(男性20~34歳):竹若元博(バッファロー吾郎)・竹森巧(アップダウン)・ケンドーコバヤシなど
・F1(女性20~34歳):高島彩、中野美奈子、中村仁美など
・M2(男性35~49歳):松本人志(ダウンタウン)
・F2(女性35~49歳):飯星景子、藤田朋子、西川史子など
・M3(男性50歳~):西岡徳馬、丹古母鬼馬二、小野寺昭など
・F3(女性50歳~):藤田弓子、大山のぶ代など

ナレーション
・中村啓子(「留守番電話サービス」や117番「時報」の声の主)

第2期・考えるヒトコマ
2005年5月3日の放送から完全リニューアルし、パネラー4人で4コマ漫画を考える内容となった。番組内でタイトルは「考えるヒトコマ」と表記されたが、テレビ欄などに掲載される正式タイトルは「考えるヒト」のままだった。
レギュラーパネラーは松本人志のみ。ゲスト3名。MCは浜田雅功(編集長)・中田有紀(デスク)が担当。ケンドーコバヤシと中川翔子は、毎回作品のクオリティが良かったため、レギュラー相当の扱いとなり毎回出演することになっていったとのこと。しかし浜田からはレギュラーと認めない旨の発言が度々ありプレッシャーを与えていた。
与えられたタイトルに基づいてパネラー4人が1コマ目を考えて発表し、その中から最も優れた1点を浜田編集長が採用。それを踏まえて2コマ目を4人が考え、同様に3コマ目・4コマ目を作成・決定していき、1本の4コマ漫画を合作で完成させる。
以前はオーケストラが生演奏していた作成中の音楽をラジカセで流すなど、セットや演出は全体的にコストダウンしている。
完成した作品は番組の呼びかけに応じた雑誌に実際に掲載された。4コマ漫画専門誌をはじめファッション誌・求人情報誌など幅広いジャンルの雑誌に同時連載されていたが、雑誌側の事情で打ち切りになることもあった。企画開始時に子供向けの漫画誌「コミックボンボン」での連載が既に決定していたが、下ネタが多いためか短期間で打ち切りとなった。

なお、2005年7月12・19日には第1期の「考えるヒト~公募の錬金術~」が一時復活した。

2005年9月20日に、レギュラー放送は終了した。2005年末から2006年正月頃に特番が予定されていたが中止になり、不定期としての放送もお蔵入りになった。なお、お蔵入りになった理由についてスーパーバイザーの高須光聖は「放送室」で「特番の内容は総集編だが、放送枠がなかった」と語っていた。

(出典:ウィキペディア
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2007
08,30
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『考えるヒト』(かんがえるひと)は、フジテレビジョンで毎週火曜日深夜0:35-0:58(JST)に放送されたバラエティ番組。2004年10月19日開始。2005年9月20日放送終了。
タイトルはオーギュスト・ロダンの作品「考える人」からとられている。


第1期・考えるヒト~公募の錬金術~
松本人志を筆頭に、各世代の芸能人が知恵を絞って真剣に公募に取り組む。取り上げられる公募は各種イメージキャラクターの愛称募集、キャラクターのデザインの募集、標語、川柳など。著名なものとしては住友生命が募集する「その年の世相を反映する創作四字熟語」などがある。

考案中、オーケストラ(早稲田大学交響楽団)が脳をリラックスさせるクラシック音楽を生演奏し、より良いアイデアが生まれるように促す。各世代芸能人代表のパネラーはフリップで公募案を出すので、一種の大喜利の様でもある。

中田が松本にアイデアの発表を催促するスパルタぶりが名物となっている。またM1席のアップダウン竹森は『笑点』の落語家のようなダジャレ風のアイデアを連発するため、よくダウンタウンの2人にいじられていた。Kids席の子供が無意識に下ネタギリギリのアイデアを出して大人達を慌てさせるという意外な笑いを生むことが多々あった。

芸能人が出した全てのアイデアは考えた本人の名前で実際に応募する。中でも浜田が選んだ最も採用されそうだと思われるアイデア1点は、人間国宝が特別に作った超高級和紙製はがきに書いて送る。

スタッフが選んだ2つの公募に応募する方式から、2004年11月16日放送分(第5回)から5つの公募の中から出演者が2つ(週によっては3つ)を選ぶ方式に変更された。

番組で紹介された公募情報は締め切りまで多少の余裕があり、もちろん一般視聴者も応募できる。しかし芸能人と全く同じアイデアを書き写して応募する人が続出する事態が発生したため、オリジナルの証明として2004年12月7日放送分(第8回)から、番組特製切手を貼って応募するようになった。

エンディングでは送った公募の採用報告がなされる。松島トモ子・西村知美らの入選実績がある。松本人志は2005年1月13日放送分(第13回)「西日本貸しおしぼり協同組合キャッチコピー」で「一まいのシャワー」で最優秀賞受賞、10万円を獲得した。

第19回放送(2005年3月8日)では、各世代のパネラー1名ずつの原則を破り、松本+子供達6名の「Kids大会」が、第21回放送(2005年3月22日放送)では松本+一般高齢女性(大阪のおばちゃん)による「F3大会」が行われた。

(出典:ウィキペディア
2007
08,29
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MC
GILLES BESSON - ジル・ベッソン (演:Gilles Beaufils/ジル・ボーフィス)
WORLD DOWNTOWNの司会進行役。口ぐせは「エ~クセレ~ントッ!!」。MCにあるまじき自由奔放な進行でダウンタウンを当惑させる。番組後半期には、ニッポンの若手ゲイニン顔負けといえるくらい体を張っている。
担当声優は、声質やアドリブ能力の高さから、ビビる大木説が有力。

コメンテーター
GHORCHYAN AFSHIN (ECONOMIC ANALYST) - 「ニューヨーク在住の経済アナリスト」ジョージ
妻子がありながらニューヨーク大学の女子スチューーーデントのシンディー(実は新小岩のキャバクラレディ。スタジオにも登場した)と浮気した挙句あっさり捨てられてしまう。 その傷を癒すべく新興宗教にハマり、コメンテーター陣を盛んに勧誘するも、その新興宗教に警察の強制捜査が入り、騙されていたことに気づき髪がすべて抜ける。その後、演歌の大御所に弟子入りする。
BAZAROVA NATALIA (CHAIRPERSON OF THE YOUTH ORGANIZATION) - 「世界青少年の会議長」ナタリア
アジアの青少年のエネルギッシュな目に感動していたが、途中からセフレ(すなわちセックスフレンド)の増加、剃毛、ノーパンなど、特異で下品な性癖を披露するようになる。声優は小林優子。
MASATOSHI HAMADA (JAPANESE COMEDIAN)-「ニッポンのコメディアン」ハマタ
ニッポンのコメディアン。上記の通り、本来は「ハマダ」なのだが、ジルらにはいつも「ハマタ」と呼ばれる。その度に本人が「ハマダや!」と言い返すのが恒例となっている。開始当初は「日本の面白いゲイニン」としての扱いだったが、回が進むにつれ、ジルからは「ゲイニンの癖に面白いことを言わない」と事あるごとに非難されるようになった(たまにジルから面白コメントについてレクチャーされることもあった)。
HITOSHI MATSUMOTO (JAPANESE COMEDIAN)-「ハマタの仲間」マツモト
ハマタの仲間。ジルたちからは男好き扱いされている。ジルと共にマツモトは体を張らされることが多い。
MANSOUR MANDELA (ALL AFRICAN LIONS CLUB) - 「全アフリカライオンズクラブ・セネガル支部長」マンデラ兄 (演:Mansour Diagne/マンスール・ジャーニュ)
2004年7月20日・27日放送分のみ、夏休みのジョージ・ナタリアに代わって弟と共に出演。
VTRの内容は昔から全て知っていたと豪語する。声優は江原正士。
SALAM MANDELA (LITTLE BROTHER) - 「ただの弟」マンデラ弟 (演:Ousseinou Diagne/ウセイヌ・ジャーニュ)
2004年7月20日・27日放送分のみ、夏休みのジョージ・ナタリアに代わって兄と共に出演。
とりあえず兄についてきた、ただの弟。ものすごい嗅覚でスタジオ内に隠された食べ物を発見する。声優は大川透。
EDDIE MURPHY (BEVERLYHILLS COP) - 「ビバリーヒルズ・コップ」エディ
2004年8月24日・31日放送分のみ、ナタリアに代わって出演。
ニセモノ(ソックリさんでもない)。ダジャレがキマると映画のBGM(axel f)にのって踊る。声優はマンデラ兄と同じく江原正士。

リポーター
ROBERT GABISAN(ロベルト・ガビシャン) - フィリピン担当
かなりの巨体で臆病、イビキがうるさい。子供の頃のあだ名は「ブタ」。
AMOMPOM KITTAPONCHAI(アモンポン・キッタポンチャイ) - タイ担当
2004年4月27日放送分のみ登場。
CHAREE VIRAPONG(チャーリー・ウィラポン) - タイ担当
どこででも痰を吐く。相手をバカにしているとしか思えない笑い方をする。
NBOGO MAMBOGO(ンボゴ・マンボゴ) - ケニア担当
最終回のみ登場。相手に異常なほど顔を近づけマイクを顔に押しつける。

スタッフ
PAUL KINGTON (ASSISTANT DIRECTOR) - ADポール
ハゲのAD。MC・コメンテーター全員がお盆ホリデーで不在の時には司会を担当。松本とコンビを組まされることが多い。ポール・スミスのボクサーパンツを愛用。
ALIJUN CABANES (DIRECTOR PHILIPPINES) - フィリピン担当ディレクター・アリジュン
ガビシャンの寝起き企画などでレポートを担当。またガビシャン不在時には、実験企画と称して小学生のようないたずらをする。
VICSHO ENRGO (SOUND TECHNICIAN) - 音声担当・エニエゴ
舌を出しながら、寝ている人の顔や体に落書きしたり、服をハサミで切る。


(出典:ウィキペディア
2007
08,28
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WORLD DOWNTOWN(ワールド・ダウンタウン)は、フジテレビ系列で毎週火曜24:35~24:58(JST)に放送されていたバラエティ番組。2004年4月13日開始、同年9月14日終了。(日時は関東地区。地域差あり)

概要
米国などのニュース番組に似せたセットで、「世界の様々なニュース」(とは言いつつも実際はフィリピン・タイ・ケニアの3ヶ国のみ)を「各界の著名人」を交えて紹介する番組。MC・コメンテーターの外国人3人の発言は全て同時通訳風に、声優によってリアルタイムで日本語に吹き替えられている(実際には逆で、声優の日本語の台詞に合わせてMCが「口パク」をしている)。

外国のニュース番組にコメンテーターのひとりとしてダウンタウンの浜田雅功・松本人志が出演している、という設定であるため、彼らの日本における地位はこの番組内では全く通用していない。むしろMCや外国人コメンテーターから見下されヒドイ扱いを受けており、この設定は斬新なものであった。また、アメリカのお笑いのベタさや、それに平身低頭する日本人を風刺した番組でもあったとも思われる。VTRおよびスタジオトークは、ダジャレ・下ネタ・ムチャ振り・無内容な繰り返し(天丼)・昆虫などのゲテモノ・素人をからかうドッキリ企画・超悪ノリ・逆ギレ・グダグダ・犬の交尾・近すぎ・ハゲ・ホモ・痰、といった目を覆うような下らなさに溢れていたが、これはむしろ外国のバラエティ番組やアメリカンジョークなど、日本のそれとはまったく異なる笑いの感覚の世界を意図的に作りだしたものといえる。そこで繰り広げられる日本の芸人とのかみ合わないトーク、サムいギャグの応酬、ゲテモノの試食などを強要される大物芸人(ダウンタウン)の姿など、今までにない笑いを生み出した。

放送開始後半年足らずで打ち切りのような形で終了しているが、作家として番組制作に関わっていた高須光聖の話によると、事実上の番組終了であったことが明らかになっている。番組セットに本物のニュース番組の倍以上の費用がかかり、海外ロケにも多額の費用がかかっていたらしい。最終回に登場したアフリカロケは、視聴者に続きがあると思わせるために仕組まれていたものであった。高須いわく「ワールドダウンタウンはしんどかった」(松本人志の放送室より)。

放送終了後も、ダウンタウンのファンを中心にカルト的な支持を受け続け、DVD化を熱望する声も高い。

外国人出演者がVTRに関連してコメントする時は、毎回のように繰り返されるお決まりのパターンがあり、MCのGILLES BESSONが「○○に関してどう思う?」と振ると、まずGHORCHYAN AFSHINが「とにかく、今欧米が最も○○だと思っている国が××なんだけど…」と持論を展開する。それに対しBAZAROVA NATALIAが「私はむしろ逆で○○よりも目、…」と切り出し、強引に下ネタに持っていく。 この間GILLESは、「鋭い意見をありがとう!」「エ~クセレ~ントッ!!」などと相槌を入れる。こうして見てみると一見ディベートをしているようだが、結局最後は全員何の理由もなく大爆笑する、というオチで終わる。そして、この一連の流れの中でダウンタウンの2人がツッコんだり、傍観したりする、という構図である。

2006年4月から開始されたフジテレビ「CHIMPAN NEWS CHANNEL」は、WORLD DOWNTOWNテイストを強く感じさせる番組となっている。MCのチンパンジーの声はGILLESと同じである(と思われる)。


(出典:ウィキペディア
2007
08,27
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怒れ!熱き日本人(2002年10月9日~2003年3月)

番組内容
今の世の中に何らかの「不満」を持つ視聴者がそれを少しでも改善するため「提案」を持ち出し、それを「鉄の壁」と呼ばれる7人の論客が様々な角度から厳しくチェック。そこで繰り広げられる大激論を通じて、客席にいる陪審員100人のうち51人以上を納得させれば賞金100万円を獲得できる。後期には、世の中のちょっとした不満を改善するアイディアを視聴者にハガキで投稿してもらい、「鉄の壁」のメンバーの評価により5万円前後の賞金を贈呈するミニコーナーもあった。なお、有名人が「提案」を持ち出す特番を放送したこともある。浜田が大竹まことの発言に対し、ホイッスルを数回吹くシーンも見ものである。

補足
・当初は、提案者(「提案」を持ってきた視聴者)と「鉄の壁」のメンバーが提案について真剣に討論していたが、しだいに賞金100万円獲得者を出さない為に、「提案」に納得してもわざと極端な反対意見を言う作戦や、大竹まことをはじめとする毒舌を得意とするメンバーが「提案」ではなく提案者の容姿や喋り方を侮辱する発言で提案者をヘコませる作戦(あまりにひどいものは、浜田がホイッスルで注意していた)が横行しはじめ、提案者も良い「提案」を持つ人よりもキャラクターが面白い人が優先されるようになっていってしまい、だんだんと趣旨がずれていってしまった。また内容が当時日本テレビで放映されていた「マネーの虎」に似ていた、という批判も相次いだ。
・ダウンタウンの2人は、提案者と「鉄の壁」のメンバーの討論には参加せず、ただ傍聴しているだけだったので、ダウンタウンの冠番組にもかかわらず、松本の奇抜なボケや浜田の鋭いツッコミはあまり発揮されず、2人の持ち味があまり生かされていなかった。

「鉄の壁」主な出演者
・大竹まこと
・川島なおみ
・テリー伊藤
・崔洋一
・宮崎哲弥
・室井佑月
・山田五郎
・杉田かおる
・石原良純
ほか

(出典:ウィキペディア
2007
08,26
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ダウンタウン・セブンは、毎日放送製作、TBSテレビ系列にて2001年10月から2003年3月までの毎週水曜日19:00~19:54(2002年4月から18:55~19:54)に放送されたバラエティ番組。なお、新聞のラテ欄には「ダウンタウンセブン7」と表記されていた。司会はダウンタウン。

※タイトルの「・」の部分には星形に近い七角形がデザインされていた。

途中、二度に渡って大幅な企画変更のリニューアルが図られた。

概要
番組開始当初は、ダウンタウン(浜田雅功・松本人志)が司会を務めるトーク番組としてスタートしたが、ダウンタウンの冠番組にしては放送時間帯が浅かったことや裏番組が手強かったことなどが重なり、あまり視聴率を獲得することができず、半年後に家族を題材にしたクイズ番組としてリニューアルを行ったが、パッとしなかったために、さらに半年後に世直しをテーマとした討論番組としてリニューアルを行うこととなった。しかし、それでも視聴率は一向に回復の気配を見せずその為、番組は1年半で幕を閉じることとなった。
ちなみに、2時間スペシャルの際は「ダウンタウン777(ダウンタウン・セブンフィーバー)」というタイトルで放送されていた。
各時期の詳しい内容は以下のとおりである。

2001年10月~2002年3月
番組内容
毎週8人程度の芸能人を招き、視聴者からの疑問、質問、相談に答える。ネットワークで集められた芸能人会員もメールを使って情報を提供することで参加。芸能人ならではの裏情報などを提供するトーク番組。

コーナー
・芸能人メルタレ情報
トーク番組時代のメインコーナー。視聴者からの疑問、質問、相談にスタジオの芸能人や芸能人メール会員(メルタレ)が答える。
・リサイクル セブン
スタジオのゲスト芸能人が要らない私物をスタジオにやってきた出張リサイクルショップに売る。リサイクルショップが査定した売値が気に入らないものや買い取ってもらえないものは視聴者にプレゼントすることもあった。

補足
・主に浜田が司会進行を行っていたが、スタジオアナウンス(天の声)で濱田マリが姿を見せずに細かい進行を担当していた。
・2002年2月~3月の間は主に「超オフレコ!」と「ダウンタウン777」の2時間スペシャルを交互に放送していた(「ソルトレークTODAY」(2月13日)やその他の特番もあった)。

(出典:ウィキペディア
2007
08,25
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かざあなダウンタウンは、テレビ朝日系列のバラエティ番組。司会はダウンタウン。放送期間は1995年5月9日~1996年3月30日。

概要
ゲストとのトークコーナー、および当時の若手お笑いタレントを中心としたチャレンジコーナーを中心に構成。

放送開始当初は火曜日の深夜1時台からの放送であったが、1995年10月に番組改編のため放送枠が土曜日深夜11時55分からに昇格した。このときから構成を大きく変え、スタジオでのゲームコーナーと屋外ロケーション企画「ダウンタウンとロケしましょう」の2本柱となった。後期はフリートークの時間も拡大された。ちなみに後期の放送時間は1992年~1993年に同系列の関西ローカルで放送された摩訶不思議 ダウンタウンの・・・!?(朝日放送制作)と同じ枠であり、出演者、構成作家、ディレクターに共通の者がいたり、ゲーム企画の内容に類似した点があるなど、共通点が多く見られる番組であった。

番組初期、松本人志はこの番組にあまり乗り気ではなかったようで、あまり番組を休むことがない松本が何度か「お腹が痛い」という理由で休んだことがある。おそらく、番組前半にあるゲストの芸能人とのトークコーナーを嫌がっていた節(同番組内で某女子プロレスラーをゲストに招いた後に他番組で松本がその女子プロレスラーについて苦言を呈していたことがあった)がある。松本は番組内でも企画そのものを批判するような態度を見せることもあったが、その分今田耕司をはじめとした若手芸人たちが各コーナーで極限まで身体を張って番組を盛り上げた。

ダウンタウンの番組の常連メンバーを揃え、さらに全国区では無名だったリットン調査団も名を連ねた。リットンは最も年長のコンビでありながら最もイジられる役として十二分に存在感を示し、特にお色気企画の際に輝きを放ったことから、浜田雅功をして「こいつら(リットン)が活きるのはここやったんや」と言わしめた。

(出典:ウィキペディア
2007
08,24
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ダウンタウン汁
『ダウンタウン汁』(-ぢる)は、1993年10月~1994年9月にTBS系で放送されていたダウンタウン司会の深夜バラエティ番組。

2部構成になっており、前半は芸能人ゲストを招いてのトーク。トークの前半は通常のトーク、後半は今田ら若手からの質問コーナーになっていた。番組後半は「お笑い頭脳バトル」という大喜利。浜田が司会、他メンバー全員がパネラーとなり浜田が出すお題にフリップで回答していく。浜田が面白いと判断したら大脳マークがもらえ、最初に一定数貯めた者がスポンサー(航空会社)提供のバリ旅行などがもらえ、誰かが商品獲得すると大脳は一旦リセットされ、次回から全員0から再スタートという笑点の大喜利と同じルール。最初は商品獲得までに必要な脳みそはメンバー全員同じ数だったが、のちに各人の回答レベルにより差がつけられるようになった(松本は10、板尾は8、など)。
後半、番組が30分延長され、後半30分は「ダウンタウン粕」として130R、木村、東野の4人(チーム名は「ハンバーグ」)のみ出演の番組に。
途中、板尾が淫行事件で降板することになったが、収録済の回は編集でいなかったことにされた。

発明将軍ダウンタウン
発明将軍ダウンタウン(はつめいしょうぐんだうんたうん)は、日本テレビ系列で1993年10月22日~1996年9月27日まで放送されたバラエティ番組。司会はダウンタウン。
放送時間は毎週金曜日・午後7時30分~8時の30分間。1995年10月20日に午後7時~8時の1時間番組になった。30分時代はJTの一社提供だった。
1996年10月からは、司会を研ナオコ、今田耕司、東野幸治に引き継ぐ形で「ひらめけ!発明大将軍」としてリニューアルされたが、ダウンタウンが司会をしていた頃よりも視聴率が低迷してしまったため、1997年3月に終了した。

番組内容
一般視聴者から寄せられた発明品の中から、番組のオーディションにより選ばれた発明品を製作者当人がスタジオで紹介する番組。審査員による審査の上、毎回チャンピオンを決定する。チャンピオンには記念のトロフィーと賞金(発明軍資金)が贈呈される。また、松本人志が個人的に気にいった発明品には「松ちゃん賞」が贈られた。
番組開始当初はゲスト3人と共に視聴者が考えた発明品をVTRで紹介する形になり、後半は松本が考えた発明品を紹介した。 1995年中期には大幅なセットチェンジ(松本曰く「千昌夫の豪邸」)を図られ、審査の形式がこれまでのゲスト3人に加え発明学会など専門家数人加わり、発表の形がVTRの紹介から発明した一般視聴者が実演する形式へと変更された。
発明は松本人志本人からも出され、たいていの発明品には「松風」と命名され、発明将軍ダウンタウンでチャンピオンをとった発明品は製品化されたものもあったが、その製品にも「松風」と命名されていた。
1995年10月の放送時間増大時から前半に現在放送されている「伊東家の食卓」の「裏ワザ」に近い「知恵姫」と「発明伝」、後半に「発明将軍」の編成に変更された。これは以前1995年に何度か1時間スペシャルされ“知恵姫”が好評を博した為である。 その番組の構成だった安達元一は「伊東家の食卓」の構成を務めている。そして所ジョージが本名の芳賀隆之の名で一般参加者に混じって発明品を披露したこともあった。
スポンサーは30分時代は前番組の「ハートにジャストミート」に引き続きJTの一社提供だったが(CMの内容は主に飲料・企業CM中心)、1995年10月からスポンサーのJTがこの年の11月に開始した「鉄腕!DASH!!」に移行された為、前番組の「解禁テレビ」に引き続きNTT、牛乳石鹸など複数社提供の番組に変更された(NTTは「ぐるぐるナインティナイン」(ぐるナイ)放送開始からしばらくして別番組枠に移行したが、牛乳石鹸は「ぐるナイ」開始から30秒に縮小され、その後「ルックルックこんにちは」に移行したのを最後に1999年9月をもって撤退している)。

(出典:ウィキペディア
2007
08,23
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生生生生ダウンタウン(なまなまなまなま-)は、TBSで1992年4月から1993年3月まで放送されていたバラエティ番組である。タイトルから見ての通り、当初この番組は生放送で、スタジオは当時完成したばかりの東京メディアシティ内のTBS砧スタジオが使われていた。

概要
放送時間は毎週水曜日20:00~20:54で、それまで放送されていた「わくわく動物ランド」の後番組としてスタートした。当初は、タイトル案に「いい国作ろうダウンタウン」というものがあったらしいが松本人志がこのタイトルに決めた。(ちなみに「いい国つくろうダウンタウン」は「ダウンタウン・セブン」の仮タイトルとしても使われた)

出演はダウンタウンで、当時の新番組としては期待されていた番組だったものの視聴率は、裏番組で日本テレビの「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」、フジテレビの「鬼平犯科帳」、「銭形平次」シリーズには勝てず、1年で終了した。また、TBSの水曜日はナイター中継も多く組まれたことから、雨傘番組時は「雨雨雨雨ダウンタウン」というタイトルで放送された。

1993年1月にマーティンセントジェームスを迎えての回では終盤近くで皇太子徳仁親王と同妃雅子の婚約成立を伝える緊急報道特番に差し替えられたため、当該回は番組途中で打ち切りとなり、後日再放送が行われた。

当初は生放送であったが、松本曰く「スタッフが放送部レベル」だったことでかなり不満に感じていたとのこと。ある時から生放送ではなくなり、収録の素人参加型のゲーム番組になり(末期はラブアタックの様なカップル誕生企画になった)、開始時とは全く番組の姿を変えた末、終了となった。

レギュラー出演者は、いわゆる"2丁目軍団"が中心となっており、今田耕司、東野幸治、木村祐一、チーム0など。チーム0は「ガキの使い」で、今田・東野は「ごっつ」で既に東京で顔が知られていたが、木村はこの番組が、東京発のゴールデン枠の番組初出演で、初期の生放送で自らのネタを緊張の面持ちで披露した(フリップネタ等)。

松本人志はこの番組の失敗でTBS(の制作陣の一部)から距離を置くようになったが、この番組が終了した後も深夜で「ダウンタウン汁」「ダウンタウン也」のレギュラーを持っている。しかし「-也」の終了後は2005年の「リンカーン」開始までTBS制作のプライムタイムのレギュラー番組はなかった。 (その間MBS制作の「ダウンタウン・セブン」<2001年10月~2003年3月放送>に出演していた。また2002年10月から半年間放送されたTBS制作のスポーツバラエティー「サイボーグ魂」にも出演した。)


(出典:ウィキペディア
2007
08,22
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摩訶不思議 ダウンタウンの…!?(まかふしぎ だうんたうんのてんてんてん)は、1992年4月~1993年9月の間、土曜深夜11:55 - 0:50に放送された朝日放送製作の公開バラエティ番組である。


概要
収録はABCホールで行われ、毎回、レギュラーメンバー(ダウンタウンファミリー)が企画を持ち寄り、その中から面白そうと思ったものをダウンタウンが選んで実際に披露する。コーナーは1回の放送につき3本放送していた。

また、オープニングは初期レギュラーメンバーのダンスで始まり、途中でレギュラーに加わった東京パフォーマンスドールの歌から始まる構成に変更された。毎回ゲスト歌手を1組迎え、番組の終盤にゲストの歌を放送した後、エンディングに客席へ大砲につめたパンティを放ちプレゼントするシーンで締めくくっていた。ちなみに、番組の冒頭と終盤に音楽番組としての要素も加えられていたためステレオ放送で制作されていた(一部のテレビ雑誌においては、番組が開始する前の新番組紹介の欄に「ダウンタウンが司会を担当する音楽番組」として紹介されていた)。

関西以外ではテレビ朝日を除く一部の系列で放送されていた。テレビ朝日での放送を望む声も少なくなかったが、関東では見られないところで好きなことをしたいという松本人志の意志により、関東へのネットを断っていたというエピソードがある(CS局のチャネル・オー(現スカイ・A sports+)が放送していた為、CS加入世帯ならば全国視聴可能ではあった)。しかし、当番組の終了後しばらくしてからテレビ朝日制作で内容が類似した深夜番組「かざあなダウンタウン」がスタートしている(両番組とも出演者のみならず、構成とメインのディレクターも同じであった)。

ダウンタウンはこの番組を最後に関西ローカル番組から卒業した。以後関西地区でのレギュラー番組は持っていない。
(浜田雅功のみ2007年3月23日より、東野幸治と共に毎日放送で毎月1回放送の「ごぶごぶ」がスタートする。)

(出典:ウィキペディア

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