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教えて!ダウンタウン

ごっつええ感じ、ガキの使いやあらへんでで活躍している、 大人から子供まで大人気のダウンタウン。 昔の漫才は、youtubeの動画でみてもやっぱりおもしろい! 最高ダウンタウン!
2024
05,07

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2007
06,07
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出演者
ダウンタウン(浜田雅功、松本人志)
ウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)
清水ミチコ
野沢直子※
※野沢は1991年3月23日放送分をもって番組を降板。以降最終回まで5人でのメンバー構成となる。


スタッフ
プロデューサー・佐藤義和
ディレクター・星野淳一郎、吉田正樹、小須田和彦
AD・片岡飛鳥、小松純也
構成・廣岡豊、清水東、藤沢めぐみ、和泉光晴、小笠原英樹、乙川恒樹、内村宏幸、高須光聖、ほか

主題歌
オープニングでは主題歌を歌うバンドの演奏シーンと共に出演者個別の紹介クリップが流れた。

「女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)」(サザンオールスターズ)
メンバーが寝起きのパジャマ姿(松本は浴衣)で静かにサザンのPVを眺める。曲に合った気だるい雰囲気のオープニングであった。
「フリフリ'65」(サザンオールスターズ)
前作「女神達への情歌(報道されないY形の彼方へ)」の時はPVの流用であったが、本作以降は完全に番組オリジナルの映像で、サザンと番組メンバーとの共演シーンも見られた。12人(サザン側、番組側各6人)がスタジオに集い立食パーティを始めるが、乾杯と同時にいきなりワインを掛け合いケーキをぶつけ合う。
「働く男」(ユニコーン)
ハワイに自分たちの別荘を作るというコンセプト。実際にハワイへ向かい、思い思いに遊びまわるシーンもあり、最後は建設予定地で夕陽を見ながら談笑する。ユニコーンはメンバーと共に別荘の模型をみんなで覗き込むというワンシーンに出演した。またPVとは別に歌うシーンも有り。
「スターな男」(ユニコーン)
研究室のような部屋で談笑していると、誤って南原が物質転換装置(?)で香港にワープしてしまう。残るメンバーは香港へ旅立ち必死に南原を探す。オープニングながら大掛かりなロケとなった。ユニコーンは研究室の前で歌うシーンと、香港で走り回る南原の後ろでちらっと映る。また番組用に歌詞を一部変えて歌っている。
「BELIEVE IN LOVE」(LINDBERG)
男性陣4人が会社員、清水が喫茶店で働くという設定で恋人に振られた南原を励ます他のメンバー。「フリフリ'65」の時と同様にLINDBERGとメンバーが談笑するシーンもあった。

(出典:ウィキペディア

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2007
06,06
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夢で逢えたら(ゆめであえたら)は、1989年4月-1991年11月にフジテレビ系で放送されていたバラエティ番組。放送時間は土曜23:30-24:00。また、フジテレビのみ(関東ローカル)で、全国ネット番組に昇格される半年前の1988年10月-1989年3月まで、木曜26:05-26:35で放送されていた。

ダウンタウンとウッチャンナンチャンが共演していた。

1988年10月-1989年3月の期間では深夜2時過ぎの放送だったためか初回以後数回の視聴率は1%を切る事もあったが、徐々に人気が高まり、やがて5%を超えるようになった。土曜日に移ってからは手前の番組で絶頂期を迎えたねるとん紅鯨団の視聴者を巻き込んで人気を確立し、深夜番組としては異例の20%という高視聴率を記録した。

番組概要
後にお笑い界のトップに君臨する事になるダウンタウン・ウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコが出演していた、ファンの間では伝説的な番組。現在でも見られる若手芸人による合同コント番組形式はこの番組が始まりだとも言われている。

番組構成は主にコント中心で、1、2分単位のショートコントと連続ドラマ仕立ての長めのコントから成る。「ガララニョロロ」「伊集院みどり」「サービス」「タキシーズ」「ポチ&卍丸」など多数の人気キャラクターが生まれた。初期と後期ではコントの方向性が異なっていて、初期は道具も少なく地味な物が多い。なお、後期のスタイルは後にダウンタウンの冠番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」に引き継がれる。

1990年4月、ウッチャンナンチャンはゴールデンで「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば」が決まり、スケジュールを合わせるのが難しくなった。また野沢は1991年3月23日放送分をもって番組を降板。以降最終回まで5人でのメンバー構成となるも野沢の抜けた穴は大きく、マンネリ化した状態の中これ以上の番組継続が困難となり、1991年11月23日、11月30日のドラマ企画「Forever friends」をもって終了した。(ちなみに最終回のドラマ企画はステレオ音声での放送であった。)

1993年3月には、ニューヨークへ旅立った野沢直子を探す企画として2時間のスペシャルを放送。浜田・内村・南原・清水の4人がニューヨークへ旅立ち、当時「チンパンジーズ」というバンドを組んでいた野沢と感動の対面を果たす(サルの気ぐるみ姿でパンクロックをシャウトする彼女に一同唖然)。そこで野沢は結婚・妊娠の発表をし、4人を呆れさせた(なおこの時南原も結婚を発表。執拗な浜田の質問に「芸能レポーターよりうっとおしい!」と苦笑いした)。一方、松本だけは東京に残り、芸人として野沢との対面よりも番組収録を選択、1人コントを撮った。これ以降、この番組の放送はないが(2000年12月31日に放送されたフジテレビのバラエティ番組を振り返る特別番組の中で過去の名場面の再放送はされている)、清水は未だに「みどりー!」とファンから叫ばれると即興で伊集院みどりを演じてくれたり、メンバー同士が競演すると、息の合ったツーカーなやりとりが見られるなど全員のチームワークは未だ健在である。

スタッフと番組形態はこののち「ダウンタウンのごっつええ感じ」に引き継がれていく。


エピソード
「バッハスタジオII」のコーナーでは当時起こっていたバンドブームの波に乗り、清水以外音楽経験のないレギュラー陣がバンドを結成し数々の課題曲に挑戦。講師としてユニコーンやTHE BOOMら売り出し中の若手人気バンドが数多く登場した。ちなみに、現在バラエティータレントとして活躍するYOUも当時組んでいた「FAIRCHILD」のボーカルとして出演したことがあり、彼女ののちの方向性を決めるきっかけになった番組と言える。

当時のメンバー間のチームワークの良さは素晴らしく、後に笑福亭鶴瓶が「こんなに息の合った番組はそうそう無い」と番組を絶賛している。また、当時は彼らもまだスケジュールに余裕があり、出演者6人がプライベートで花見に行ったというエピソードもある。このとき、野沢、清水、南原が騒ぎ、浜田、松本、内村がその騒ぎを見守るという立ち位置がしっかりできていたという。


(出典:ウィキペディア

2007
05,31
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松紳(まつしん)は、2000年10月~2006年3月30日まで日本テレビ系列で放送されたトーク番組。出演は島田紳助とダウンタウンの松本人志。2003年3月以前は広島テレビ制作でZZZ枠などで放送された『松本紳助』(まつもとしんすけ)という番組名だった。(日テレ製作に移行されてからも広島テレビのスタッフも一部関わった)

概要
紳助と松本のアドリブトークや、スタッフや視聴者から出されたお題・悩み相談に基づいたトークが中心。女性アイドルのオーディションなどトークから発展した企画も行った。

2004年頃からは30分間トークを番組の基本形態としながらも、番組初のロケを実施してイカ釣りをしたり、視聴者から募った「メルヘンチックな話」をVTR形式で紹介、それをもとにトークするという変則的な形態で番組を行うことが多かった。また「メルヘンチックな話コーナー」ではVTRの内容をそのまま受け取る松本に対し、紳助がVTR中の人物の言動の裏に秘められた意味を解説する事が多かった。

何度か番組内で、沖縄県宮古島産の完熟マンゴーが紹介され、それがきっかけで一時的なマンゴーブームも巻き起こした。その他ルタオの「ドゥーブル・フロマージュ」もこの番組がきっかけで売れ始めたと言っても過言ではない(放送後、紳助がもう一度買おうと注文したところ2週間待ちといわれた)。これは両人が本気で「美味しい!」と言っていたのと、時間が時間だけに美味そうに見えるのが要因(後者は両人も言っていた)。

2004年10月に紳助が女性マネージャーに対する傷害事件を起こし、番組を一時降板していた期間は松本とプライベートで親交の深い木村祐一、千原兄弟の千原ジュニアや東野幸治が代役を務めた。

2006年3月23日には初のゴールデン特番「松本紳助ゴールデン!」が放送された。(21:15~23:09) また、番組は2006年3月いっぱいをもって終了すると同年3月3日の放送(関東)で発表された。

番組開始当初から紳助・松本とスタッフによる打ち合わせはほとんど行われておらず、ほぼぶっつけ本番で収録されていた。特に食べ物の企画の際は、知らずに食事を済ませたり、友人と食事の約束をした後の収録において企画内容を説明されるので、「おいしく食べられない」と嘆く2人の姿があった。「松本紳助ゴールデン!」でさえ、本番が始まってから急遽打ち合わせを始めるほどであった。最終的には、紳助から「この番組は(スタジオに)来るのが仕事や」と言われたこともあった。

また、紳助や松本の赤裸々な本音が大幅な編集も加えられずにO.Aされるため、他の番組や写真週刊誌からのイメージに支配されない素顔の2人を垣間見せた。紳助はこの番組を「唯一本音で話せる番組」と語り、視聴者からも「2人のイメージが変わりました」という好評の意見が寄せられた。深夜番組であるにもかかわらず、松本幸四郎 (9代目)や加藤茶などこの番組のファンである芸能人も多かったようであり、現在でも放送再開を望む声が多い。

番組終了の理由として、当時の日本テレビの深夜番組における大きな改編期、松本人志の映画撮影による多忙などが挙げられる


放送時間
日本テレビでは木曜24:50-25:20だが、地域によって放送時間が異なる。(※)は非NNS加盟局。(←なお、四国放送などの一部地域(主に非マストバイ局)では編成上の理由等でZZZ枠打ち切りをもって番組自体、ネット打ち切りとなった)



(出典:ウィキペディア


2007
05,30
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ダウンタウンの人気と共に番組人気も上昇し、1995年頃には11時台の番組にもかかわらず、視聴率は20%を超えるようになった。しかし内容の過激さから、2003年頃から一部のネット局が放送を中止したり(後述)、関東地区ではスポンサーが相次いで撤退するなど、近年はやや不遇な扱いを受けている。しかし、裏番組の「新堂本兄弟」(フジテレビ)を一桁に追い込んだり、最近の回にて15%に肉薄するなど、視聴率は安定している。ファンの支持は根強く、2004年8月~2007年1月現在、DVD全8巻の売上数がおよそ170万本以上を売り上げる大ヒットを記録。第9巻も売上ランキング初登場1位になり、総売上数が200万枚を突破した。 (通常DVDは、5000枚売れれば上出来と言われていることから、この数字がいかにすさまじいものかを分かっていただけるであろう)

2004年12月には1996年3月31日以来8年9ヶ月ぶりのゴールデンタイムでの特番「15周年記念スペシャル 浜田・山崎・田中罰ゲーム 笑ってはいけない温泉宿一泊二日の旅in湯河原」が放送され、関東(日本テレビ)16.9%。放送を休止していた関西(讀賣テレビ放送)では20.0%と高視聴率を記録した。2005年10月4日にも「ガキの使い罰ゲーム!!笑ってはいけない高校(ハイスクール)」がゴールデンタイムに2時間半放送された。

2006年10月29日放送分のデータ放送で「聞いてみまっしょい!」のコンテンツ中で罰ゲームの放送とその詳細が決定し、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しスペシャル 絶対に笑ってはいけない警察24時!!」が大晦日の21時から年越し後の2007年元旦の24時10分まで放送すると表示されていた(全編生放送ではなく録画であり、録画放送で年を越すのは日本テレビ系としては開局以来初のこととなる。また年越しカウントダウンなしというのも大手民放では異例である。実際に2007年になった瞬間は「山崎、アウト!」(ジミー大西が知能犯役を演ずるビデオで彼が悪臭にむせる様子を見て笑ってしまったため)だった)。

視聴者や痛烈批判をしたやしきたかじんなどから、「DVDが発売される可能性があるから、視聴率が低くなるのではないか」という意見もあったが、ある番組が独自に行った視聴率調査ではK-1を抜き、民放では第一位の視聴率25.3%となり、実際の視聴率も関東地区10.2%(関西地区17.2%)と紅白の裏番組の中では第2位となり、オリコンチャート調べの「年末年始のおもしろかったテレビ特番ランキング」でも第2位となり、批判を打ち消した格好となった。また、ダウンタウンが「見所があっても、(紅白に)勝つ気がなく勝負を放棄した」と言っていた。また「大晦日年越しスペシャル」でスタジオの映像のみだがハイビジョンカメラでの撮影が行われた。ハイビジョンカメラでの撮影では番組開始以来初めての事である。

この番組のタイトルバック・エンド提供クレジットで流れる曲には、長年コールドカットの「Theme From "Reportage"」を使用している。

また、深夜時代からプライムタイム移行後しばらくまでの間はエンディングトークのコーナーがあり、エンドロールと共に収録秘話など2人のトークで番組を締めていた。エンディングテーマは尾崎亜美の「Walkin' in the Rain」。因みにエンディングトークのコーナーでは、当時ダウンタウンがCMをやっていたファミコンゲーム「ロードランナー」の広告をさせられたことがあり、タイアップで作られたそれぞれの人形を手に持っていたが、松本はその人形を思いきり床に叩きつけていた。

オープニングの番組タイトルロゴ登場時のアニメーションは当初は多種類あり、ほぼ毎週異なっていたが、1997年以降は1種類に固定されている。

地上デジタル放送では番組と連動のデータ放送が行われており、当番組の放送中にリモコンのデータ(d)ボタンを押すと、放送内容や「おばちゃん日記」「ガキの使いクイズ」などのコンテンツを視聴・利用できる(日本テレビと同時間に放送している地域のみ)。

地上デジタル放送で2007年3月現在レギュラー放送のハイビジョン制作は行われていないが、2006年12月31日放送の大晦日年越しスペシャルのみハイビジョン制作であった。


(出典:ウィキペディア

2007
05,29
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概要
1989年10月3日にスタート。開始当初は火曜25:40~の放送(関東ローカル、その後一部地域で放映開始)だったが、1991年10月に22:30~からの「笑撃的電影箱」(1994年4月に番組枠消滅)の後半として現在の枠に昇格(昇格当初は22:55~23:25だったが、1999年4月からは1分繰り下がり、現在の時間帯に変更)。2006年で17周年を迎え、放送回数は850回を超える長寿番組である。

数々のゲームで敗戦すると、恐怖と爆笑の罰ゲームがあることで有名で、また番組内で繰り広げられる数々の企画とダウンタウンのトークは過激なものからシュールなものまで様々なバリエーションに富み、日本のバラエティ史に燦然と輝く功績を残してきた。

元々はダウンタウンのビデオを見た日本テレビの菅賢治と土屋敏男の二人が、ダウンタウンの東京進出の足がかりとして二人を「恋々!!ときめき倶楽部」という番組に出演させた。その後菅と土屋は「彼らの漫才を毎週見たい」と熱望し、そのためだけにこの番組をスタートさせた(ちなみに番組タイトルは、「恋々ときめき倶楽部」の中で松本が出演者に対し「お父さんもガキの使いやないんやから・・・」と発したことに由来している)。(かつて放送された特番では、松本が素人のおじさんに「いやいや、それでは済まさん。こっちもガキの使いやないんやから・・・」と言ったシーンが流され、これが由来だと説明されていたこともあった。)

しかし10週ほどで漫才のネタが尽きたため、その後の番組の骨格となる「オープニング」と「フリートーク」が始まるようになり、現在に至るまでその基本形は維持され続けている。大衆の求める笑いが目まぐるしく変化している現代で、15年以上番組内容がほとんど何も変わらずに続いており(オープニングのBGM・タイトルのロゴすら変わっていない)、日本テレビでは「笑点」に次いで放送期間が長いバラエティ番組である(その他に、同時期にスタートし現在も続いている同局の番組には「所さんの目がテン!」がある)。

その一方、長寿番組ゆえ、決して内輪ウケを狙った企画ではないものの、「分かる人でなければ笑えない」「長年見続けていないと笑えない」・・・など、マニアックで玄人ウケする笑いが多くなりがちな側面もあり、一部には「見る者を選んでいるようなムードがある」と評する向きもいる。事実、メンバー・スタッフも「マニアックで排他的な作り方をする番組」(浜田)、「視聴者に無理に擦り寄っていく作り方は敢えてしない。分かる人だけ分かってくれればいいし、見れば絶対に面白いと思ってもらえるものを作りたい」(ヘイポー)などと自己評価している(視聴者側としては賛否両論分かれるところではあるが)。

またこの間、日本テレビの上層部からはゴールデンタイムの1時間枠移行のオファーを得たことも幾度かあったが、菅らが「ゴールデン向けの番組と『ガキ』とでは作り方がまるっきり違う。ゴールデンに持っていってしまうと、この番組の色が出せなくなってしまう」として要請を断っている。実際、現在の放送時間枠はゴールデンとも深夜とも言えない絶妙な時間帯での放送であり、このことが「ガキの使い~」が長寿番組としての存続を成し得てきた大きな要因のひとつであると考えられる。ただし近年のスペシャル版に限っては例外としてゴールデンタイムに放送されている。

更に番組の企画に関しても、即興性が求められるもの、瞬間のリアクションを楽しむもの、シナリオに基づいてきっちり作り込んだものなど、毎週違った作風で番組が作られているせいもあってか、企画意図を理解できない視聴者が「どこが面白いのか?」「あれはヤラセでは?」といった疑問や苦情を投げかけるケースが見られる。例えば幾度か放映されている「板尾いちゃもんシリーズ」はシナリオに基づいて制作されている企画だが、余りにもリアルな演技であること相まって、一部の視聴者が真に受けて「板尾は金に汚い性格」などと日本テレビや吉本興業にクレームを寄せている。また、2002年10月20日放送の「男と男の料理対決」でも同様のクレームが発生。内容は岸部四郎が幾度も落とし穴に落とされ「もう金(で解決してもらう)しかないなぁ!!」と激怒するというもの。これも台本に基づいた芝居であるにも関わらず、真に受ける視聴者が現れ、読売新聞の投書欄に「彼の出演コーナーがなくなってしまった上、落とした側も悪びれる様子がない」などと苦情が掲載されるという珍事となった。

だが一方、こうした徹底した作り込みの手法は芸能界及び放送業界の間ではとても評価が高く、前述の通り他番組(日本テレビ内だけでなく、他局に於いても)でも「ガキの使い」で放映された企画のオマージュが幾度となく試みられている。だが、その逆のパターンで「ガキの使い」が他番組の企画を真似るというケースはごく少なく、基本的にオリジナルの企画を軸に構成されている(ただしネタとしてあからさまにパクることもある)。

常に「子供に見せたくない番組」の上位にランクしており、企画によっては抗議の電話が多数かかってくることがある。それへの対策で、過激な企画のときは画面にテロップが出されることがあり、たとえば老人を集めてプロレスしたときは「番組に応募してくれたプロレス好きのおじいちゃんおばあちゃんたちです」、山崎が水中縄抜けをしたときは「山崎は事前に訓練を受けています、真似しないでください」などと出る。が、実はこれらは全部嘘であり、このテロップそのものもギャグなのであるが、実際にこのテロップの効果で抗議が減ったらしい。


(出典:ウィキペディア

2007
05,28
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働くおっさん劇場(はたらくおっさんげきじょう)は、フジテレビ系列で2006年10月18日から2007年3月21日まで放送されていたバラエティ番組。フジテレビでは毎週火曜深夜24:45~25:08に放送されていた。それ以外の地域の放送時間は系列局により異なる。なお、新聞のテレビ欄には「(多)おっさん」と表示されていた。東海テレビ(名古屋市)では全国の政令指定都市の中で唯一放送されなかった。今後、3rdシーズンとして同じような番組をやるらしい。内容、時間等は未定。

概要
40代から50代の「おっさん」の新しいライフスタイルを探すため、あらゆるスポーツや遊びを実践し、ワンランク上のおっさんを目指す。その報告を受けて、松本人志がダメだしをしながら採用・不採用を決める。通称「おっさん教育バラエティ」。この番組のファンだという芸人が数多くいる。

以前は日曜の早朝5時に毎週10分間放送された「働くおっさん人形」という人間観察ドキュメント番組があった。その進化版がこの番組である。

第1回と第2回はレギュラー陣(おっさん)の紹介と、前番組「働くおっさん人形」を知らない視聴者へ、改めて自己紹介も兼ねた、「~人形」のようなインタビュー形式であったが、第3回以降は事前に出演者(おっさん)に週変わりのテーマを知らせ、各自調べてきた事や、実践してきた模様をVTRと共に発表してゆくスタイルを取っている。番組進行は変わらず、松本が質問や命令をするインタビュー形式である。また、おっさん一同が同じ部屋で収録を行う場合と、おっさん4人がそれぞれ個室で収録を行う場合がある。ただし、松本の指示によっては、おっさんが別のおっさんの部屋に入る場合もある。

ナレーションでは、週変わりでゲストに放送内容を観覧させ、その反応を副音声で放送する。

番組のエンディングは必ず次のナレーションで締めくくる。「番組ではおっさんを募集しておりません。集まらないで下さい。」
なお、松本がインタビューとして使っている別室には松本のほかに作家やスタッフもいる。時折笑い声が入るときもある。


(出典:ウィキペディア

2007
05,26
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人志松本のすべらない話(ひとしまつもとのすべらないはなし)は、フジテレビ系列の単発深夜バラエティ番組。2004年12月28日放送開始。1クールに1回、改編期に放送される。原則として火曜日深夜の放送。

概要
松本人志(ダウンタウン)および芸人(松本と個人的に親しい芸人が中心)が出演する番組。芸人なら誰しも持っている必ずウケる話をひたすら約1時間にわたって披露していく。カジノを模したセットで、松本人志が出演者の名前が書かれたサイコロを振り、出目に当たった人がすべらない話を披露する。すべらない話が書いてあるカンニングペーパーの持込みも可能。同じ話を何度繰り返してもいいというルールがある。視聴者のみならず業界からも高い評価を得ており、収録時は番組スタッフではない関係者も観覧に訪れるという。

番組の内容は、ある時松本と番組プロデューサーが宮川大輔のすべらない話「食事へ向かう途中」(第1回、第6回に披露)を聞いたときに思いついたものである。「若手が持っている沢山のおもしろい話を腐らせてしまうのはもったいない。しっかりと表に出る場を作ってあげないと。」という松本の考えも番組がはじまる要因となった。また松本は「若手に是非挑戦して欲しい番組。この番組で戦えればどこでもやれる。」とも考えている。

第5弾の放送で番組のDVD化が決定した事を発表。第1・2回のトーク(未放送含む)を収録しR and Cより2006年6月28日に発売され、30万枚を超える大ヒットとなり、それにより番組の認知度が格段に上がった。さらに2006年12月13日にDVD第2弾「人志松本のすべらない話 其之弐」が発売され、お笑いDVDの初動売上枚数記録(10.7万枚、オリコン集計)を記録するヒットとなった。2007年3月現在、2巻で公称70万枚を超えるヒットとなった。

松本が語ったところによると、番組の内容がただ面白い話を披露するという非常にシンプルなもので余計な演出(出演者の発言をテロップに表示する演出や、つっこみテロップ)などは一切ないため、出演する芸人はスベってはいけないというプレッシャーから極度に緊張しており、収録現場は異様な空気に包まれるという。放送されていない場面では出演芸人がかなり咽せているらしい。またホストである松本人志の口癖は、「いや~しかし滑らへんね。」で、場を仕切り直す際にも使用する。

番組収録後は出演者で飲みに行くのが恒例となっており、毎回その回に話したすべらない話のMVPを決めている。

すべらない話認定印を押すキャラクターには名前があり「ハンコウ」という。ハンコウには色があり、通常は黄色であるが他にも、赤、ゴールド、青とある。たまに黄色から赤に変わることもある。ゴールドはその回にMVPに選ばれた話に押される。


過去の放送
以下、放送日時はJST、関東地区のもの。地域によってはフジテレビ系列局・クロスネット局で遅れ放送されたことがある。また、後述するとおり、年末拡大スペシャルについてはフジテレビ系で全国同時放送された。


(出典:ウィキペディア

2007
05,25
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浜ちゃんと!(はまちゃんと)とは、ytv製作、日本テレビ系列の主に深夜で放送されているバラエティ番組である。2003年10月4日放映開始。

概要
ダウンタウンの浜田雅功が毎週さまざまなゲストと色々な企画を繰り広げる。その他、「お口に合いますでしょうか」というコーナーがあり、これは木村祐一が「僕の料理を食べさせたい」と、ゲストとして出たことから始まる。
その後、浜田の連れてきたゲストに木村の料理を試食させるようになる。
レギュラーコーナーとして始まる。その後、ファミリーマートから依頼があり、弁当やおにぎりを販売し、現在に至る。
その他、前番組『HAMASHO』で恒例だったコーナー『風俗刑事』『芸能人生活向上株式会社』の復活版も度々放送されており、その際は笑福亭笑瓶も同行している。
ゲストは基本的に週代わりだが、複数週に亘って放送されるゲストの回もある。(かつて山本圭一がゲスト出演した際は、2週目の放送前に事件が発覚し後半は放送されなかった)
ゲストは俳優、バラエティタレント、お笑い芸人、グラビアアイドル、スポーツ選手など『ダウンタウンDX』、『ジャンクSPORTS』、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(ゆかりゲストとしての出演)などの他番組で浜田とよく共演するタレントが多いが、頻度は少ないながらもこれらの番組ばかりか、他のバラエティ番組にもほとんど出演しないような若手女優(香里奈、田中麗奈、松下奈緒)が出演することがある。
2006年4月から、複数の芸人やゲストを呼んでゲームなどをする企画が度々行われているが、今までの番組ファンからの評判はあまり良くない。
2006年10月放送分からは浜田にはロケ当日までロケ内容どころかゲストまで知らされることなく、浜田は毎回一人で車に乗りゲストを待つ。
そしてゲストを乗せた車が到着しはじめてゲストがわかる仕組みである。
しかし浜田はこのルールにはあまり乗り気ではない。というか、かなりの苛立ちを覚えている。


(出典:ウィキペディア

2007
05,24
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出演者

MC
浜田雅功(ダウンタウン)
石垣佑磨(2006.4.23~)
内田恭子(2006.3までフジテレビアナウンサー、2001.4~)
※基本の番組進行は浜田、男性レギュラー(金子賢→石垣佑磨)、女性アナ(大橋マキ→内田恭子)の3名で行なっているが、“司会”と肩書がテロップで表示されているのは番組開始以来、長らく浜田のみであった。ちなみに画面向かって中央にいる男性レギュラーには肩書なし、向かって左にいる女性アナには担当しているスポーツニュース番組のキャスターという旨の肩書(例:“『すぽると!』キャスター”)がつけられていたが、内田は『すぽると!』降板後の2006.4.9以降、肩書なしとなり、テロップのバランスが少し悪くなってしまった。
※2006年11月頃からテロップが一新。肩書の表記が「司会」から「MC」に変更され、その肩書は浜田ではなく内田につけられた。向かって左にいる内田につけたことで、3人がMCだということをわかりやすくしたと思われる。

その他の出演者
三宅正治アナウンサー(「スポーツファンタスティック」と「アスリートに聞きました!」のMC)
小林麻央(2004.4~)(「ファンタスティックストーリー」ナビゲーター)

過去の出演者
金子賢(~2006.4.9)
大橋マキ(当時フジテレビアナウンサー、~2001.3)

「DANGER」マークについて
この番組では放送上まずい発言についてはサイレンタイプの放送禁止音をかけて処理しているがこの際MCの浜田雅功やゲストアスリートの口にかぶせられるのが「DANGER」マークである。2006年1月29日の放送では柔道の野村忠宏が先輩の古賀稔彦が独自の根性エピソードを披露したあと「柔道家としては尊敬しているがこんなにバカだったとは思わなかった」と発言したが「バカ」の部分だけこのマークと禁止音がかぶせられた(両者の名誉にかかわると判断したためだろう。ちなみにこの発言、予告では放送されていた)。

この番組の謎
ゲストとのトークの時、司会の浜田と男性レギュラー(金子→石垣)は椅子に座っているが、なぜか内田は立って進行している。
ゲストが感動させるようないい話をすると司会の浜田はカットしたがる(「ええ話はいらん」と発言したことがある)。ただほとんどのトークは良し悪しに関わらず放送されていると思われる。(「ええ話やな・・・カット」という台詞回しが定着しコント化している)
2006年10月15日放送分より、タイトルロゴは従来の「ジャンクSPORTS」のままだが、一部新聞ラ・テ欄の番組名表記が、ロゴに存在しない「!」を付けて「ジャンクスポーツ!」に変更された。これは文字放送が開始されたため、新聞の番組欄に文字放送マークの表示をしなければならなくなり、かつ番組タイトルを1行に収める都合でこうなったものと思われるが真相は不明。



(出典:ウィキペディア

2007
05,23
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『ジャンクSPORTS』(ジャンクスポーツ)は、2000年4月11日から放送中のフジテレビ系列のスポーツを題材としたトークバラエティ番組。

番組概要
毎回様々なテーマを決め、浜田雅功らMCとゲストのアスリートらがトークを展開する。また、様々な番組オリジナル競技でアスリートが対決するなどの企画もある。野球、サッカーなどのメジャースポーツの選手だけでなく、普段マスコミではあまり取り上げられないマイナースポーツの選手も恒常的にゲストに呼ぶのが特徴で、スポーツ振興としての役割も大きい。また「アスリートの奥様」「スポーツマスコミ」等、スポーツ関係者を広範に特集するなど、アスリート以外にもスポーツ業界の裏側が見られることも。メインMCである浜田の軽妙かつフレンドリーな出演者とのあしらいが、決してしゃべりが得意とは言えないスポーツ選手のいろんな側面を引き出し、魅力となっている。

番組開始当初は火曜23時という時間帯だったにもかかわらずMCとアスリートとのトークで高視聴率を獲得し、深夜時代、裏番組の『「ぷっ」すま』に打撃を与えた。2003年3月25日には2時間30分のゴールデン特番を放送。これが17.5%(関東地区)と高視聴率だったため、2004年1月11日からは2003年9月で終了した『笑う犬の情熱』が大不振だった後を襲ってゴールデン枠に昇格。2005年4月~6月クール分の平均視聴率が15.6%(レギュラー放送分)と、他の民放の同時間帯の番組である『どうぶつ奇想天外』と比較して0.6%上回っている。また、視聴率が前クールよりも2.1%上回ることにより同時期にスタートした久米宏司会の『A』を3ヶ月で打ち切りにした要因となった。また裏番組のNHK大河ドラマが低迷していることと相まって、数字的には互角に争っていて、希に大河ドラマを追い抜くこともある。2007年1月7日の特番では関西地区においてNHKの大河ドラマ『風林火山』の初回拡大版の視聴率をわずかながら上回った。

また、この番組がきっかけで浜田はフジテレビ・FNS系列のトリノオリンピックの特別キャスターを務めることとなった(担当アナに三宅と同局の『新春かくし芸大会』『PRIDE』で内田と共に進行役と務めた高島彩が担当)。また内田恭子アナウンサーとダウンタウンなどのマネージャーを勤める吉本興業の木本公敏が2006年1月に結婚した。

また、同年の春には6年間に渡りレギュラー出演した俳優の金子賢が格闘家転身の為降板。4月23日からは俳優の石垣佑磨がレギュラーに加入。

2006年9月24日には本来レギュラー枠はアニメスペシャル『ONE PIECE』の為休止、更にその前に『ベルリンマラソン』(15:56~18:40)を予定していたが、日本勢注目選手が欠場されたことからマラソンの中継を中止して、急遽16:00~18:00に『秋の大運動会 2時間スペシャル』として編成された。2002年のスペシャル以来となる、全国28局ネットで放送される。

2007年2月4日の放送は21:00からの『発掘!あるある大事典II』がデータ捏造問題で打ち切りになったことによりジャンクSPORTSは19:58~21:48の枠で放送。後半の部分を過去の未公開VTRで埋めるなどして対応した。


(出典:ウィキペディア

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