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教えて!ダウンタウン

ごっつええ感じ、ガキの使いやあらへんでで活躍している、 大人から子供まで大人気のダウンタウン。 昔の漫才は、youtubeの動画でみてもやっぱりおもしろい! 最高ダウンタウン!
2024
04,27

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2007
05,08
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個性が強いコンビの為、熱心なファンを多く獲得している。松本のシュールなネタと独特の間合いは、「ダウンタウン登場以降、漫才のスタイルがダウンタウンのコピーになってしまった」といわれるほど、以後のお笑い芸人(特に師匠を持たない新世代の芸人層)に少なからず影響を与えた。上岡龍太郎をして「昔はボケもツッコミも観客から見下されていた。それがコント55号ではツッコミ(萩本欽一)が客よりも高い位置に行った。ツービートはボケ(ビートたけし)が客よりも高くなった。ダウンタウンは二人とも客よりも高い位置で話をやってる。これからの漫才(≒コンビ芸)はどうなるんやろ」と言わしめている。

また彼らは自己の世界観を共有するスタッフと番組制作を行うことが多く、ブレーン的位置にいる高須光聖や、ミュージシャンとしても活動する倉本美津留らの放送作家陣は、彼らの成功に無くてはならない存在であった。番組に出る際は大抵浜田はカジュアルな服装で、松本はスーツ姿で臨む。

二人ともウサギ年で、ウサギ年の人に出会うと手をウサギの手のようにして少し前に出て「我らウサギ団!ピョン!」というのを必ずやっている。

松本が通っていた小学校に浜田が転校して来たのが最初の出会い。互いに第一印象は良いものではなかったが、中学2年のときに放送部で一緒になり友情を深める。当時はお互いに“ツレ”と呼ぶ“相方”がいて、思い思いに同級生間で漫才を披露したりで過ごす。別々の高校に進学の為に交流は一時期疎遠となったが、一度浜田が高校の寮を脱走し、わずかなお金で松本に電話をかけ2~3日かくまってもらうがすぐに高校教師につかまってしまう。高校卒業後、競艇選手の試験に落ちた浜田が、中学卒業当時に冗談混じりに「漫才組まへんか」と言った言葉を、当時既に印刷工の就職が決まっていた松本に改めて諭し説得(松紳より)。これに松本が応じる。当初松本は藤山寛美の印象と自由にやれる環境を指向し松竹芸能を希望するが、浜田の猛反対に遭う。結果、吉本総合芸能学院(NSC)に一期生として入学。師匠を持たないいわゆる「ノーブランド世代」のはしりでもある。同期にはトミーズ、ハイヒール、内場勝則、浜根隆、前田政二などがいる。「松本・浜田」「まさし・ひとし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」とコンビ名は変わりつづけたが、1983年に「ダウンタウン」でようやく定着する。「ライト兄弟」の名は飛行機好きの横山やすしから「飛行機をバカにしとんのか」と否定された。

(出典:<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/">ウィキペディア</a>)
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