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教えて!ダウンタウン

ごっつええ感じ、ガキの使いやあらへんでで活躍している、 大人から子供まで大人気のダウンタウン。 昔の漫才は、youtubeの動画でみてもやっぱりおもしろい! 最高ダウンタウン!
2024
05,18

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2007
06,20
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4時ですよーだ(よじですよーだ)は、毎日放送と吉本興業の共同製作で1987年4月~1989年9月の2年半に渡って、平日16:00~17:00に生放送されたバラエティ番組。

概要
元々、1986年10月から半年間、月曜と火曜に心斎橋筋2丁目劇場を会場とした「4時です心斎橋!」という番組が放送されていたが、これを帯番組に拡大するに当たり、ダウンタウンを中心とした同劇場で活躍する若手芸人がメインとなる本格的なバラエティー番組を制作することになった。その企画に携わったのが、当時吉本社員の木村政雄と木村の部下で現在・吉本興業副社長の大崎洋と現在・毎日放送常務取締役で番組プロデューサーの田中文夫であった(木村の著書「気がつけばみんな吉本」や読売新聞大阪本社文化部編「上方放送お笑い史」より)。当時、若手だったダウンタウンが若者を中心とした層の熱狂的な支持を集め、名実ともに大阪で天下を獲った番組である。

司会は1987年4月から1989年3月までと7月~9月をダウンタウンが、1989年4月~6月を今田耕司、東野幸治、石田靖(トリオ名は番組で公募され、「3ばか大将」と名乗っていた)が担当。また89年4月以降は金曜日の司会に本木雅弘が加わり、フライデースペシャルとして放送された。

この番組からハイヒール、今田耕司、東野幸治、非常階段らのお笑いタレントをブレークさせるきっかけを作った。

一時期、毎週日曜日の午前10:30 - 11:30の枠で、「週刊ダウンタウンおいしいとこスペシャル」と題した60分の総集編(「笑っていいとも!増刊号」と同じような構成)が放送されていた。


番組の終焉
ダウンタウンが一時的に司会を降板した理由は、彼らの東京進出の影響であった。当時笑っていいとも!や夢で逢えたら(ともにフジテレビ)など、東京の番組でのレギュラー出演が増えつつあり、東京進出の過渡期であったが、関西ローカルの帯番組の司会続行は彼らの東京進出の足かせになってしまう事実も否めなかった。この状況に対応すべく、番組を支える後継者を育てる目的で番組の進行も3ばか大将を中心に据えて、ダウンタウンは番組後半の1コーナーのみ出演、また金曜日の放送には出演しないこととなった。ところが、この改革が結果的に視聴率の低下を招いてしまったため、金曜日を除いてすぐにダウンタウンをメイン司会とする体制に戻された。しかしダウンタウンは同年秋に活動拠点を東京へ移すことが決まっていた為、番組での司会続行が厳しかった事やマンネリ化が生じ、同年9月限りで番組も終了することとなった。

1999年にはダウンタウンの東京進出十周年を祝い、また2丁目劇場解体前の最後のイベントとして、「ダウンタウンですよーだ」というスペシャル番組が収録・放送された。


(出典:ウィキペディア

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